90年代を代表するバンド、オアシス。
解散して十年以上たってるんですけど、いまだに日本でも人気があり、再結成を望む声が多いバンドです。
今でも根強いこのオアシスの人気の基盤は、ファーストアルバム『Definitely Maybe』とセカンドアルバム『(What’s the Story) Morning Glory?』という圧倒的な名盤2枚によって形成されていて、どうもそれ以降はいまいちパッとしないというか。アルバムという単位では明らかに失速しているという評価なんですよね。
それ以降のアルバムでも音楽性を変えて工夫していたり、良い曲も沢山あったりもするんですけど、この初期の2枚ほどの批評的な称賛を受けることは基本的にありません。
「ふざけんな、失速してねぇ」というファンもいるかもしれないですけど、そんな人でもやはり、ファースト、セカンドのあの輝きにそれ以降のアルバムが及ばないのは認めざるを得ないところだとは思います。
彼らはビートルズというもっとも偉大なバンドとしてしばしば語られるバンドを目標としてきましたし、比べられることも多かったです。
しかし、ビートルズが音楽における変革をもたらし続け、解散までいいレコードを作り続けてきたのに対し、オアシスのアルバムという作品単位での快進撃は残念ながら客観的にはセカンドで止まっていると言わざるを得ません。
ではなぜオアシスはビートルズになれなかったのでしょうか。いやビートルズになるのは時代的なこともあるので不可能だったとしても、同時代に活躍していた、それこそライバルと言われていたブラーやレディオヘッドの様に、自ら変化しながら優れた作品を残し続け、キャリアを進めていくことがなぜできなかったのでしょうか?
本稿は、オアシスが3rdアルバム以降も名盤を発表しつづけて「偉大なバンド」として君臨し続けるためにはいったいどうすればよかったのか、身勝手な妄想ではあるんですけど、具体的に考えてみることで、オアシスがブラーの変化と競い合うようにライバルであり続けた世界線もあったんじゃないか、と提示していこうと思っています。
オアシスのよさ、魅力とは?
まず、全盛期のオアシスの魅力っていったいなんだったのか、それを明らかにしていきたいと思います。
端的に言うとオアシスの魅力って大きく3つあると思っています。
①圧倒的な曲の良さ
②リアム・ギャラガーという希代のボーカリストの存在
③ロックスター然としたバンド(ギャラガー兄弟)の佇まい
です。
もうちょっと具体的に語っていきましょう。
「曲が良い」といわれてもあまりにも抽象的すぎますよね。まずはメロディの良さですよね。彼らが理想として掲げてるビートルズの様に彼らの代表曲は実にキャッチーです。
「Live Forever」「Rock’n Roll Star」「Don’t Look Back in Anger」「Wonderwall」と多くのアンセムといえる名曲をつくりだしてきました。
その秘密の一つとして韻があります。ビートルズもそうなんですけど、オアシスの曲ってとにかく脚韻を踏みまくっているんですね。
洋楽は基本的に邦楽よりもラップに限らず押韻を意識したものが主流なんですけど、オアシスは徹底しています。
またその韻の気持ちよさにリアムの伸びやかな歌声が合わさると何とも言えない特別さが生まれるんですよ。
リアムのボーカリストとしての声質のよさは、代表曲の「ワンダーウォール」を他のシンガーによるカバーバージョンと比べてみると一目瞭然です。
意外ときれいに響かせることが難しい曲だと思うのですが、リアムだとなんなくやってのけてるんです。
またリアムのステージでの佇まいもカッコいいですよね。マイクスタンドに手をかけず、後ろに手を回して、口の位置より少し高くセットしたマイクにむかって上向きに歌うという。
またオアシスはその言動とかが面白可笑しくメディアに取り上げられていたバンドでもあります。
マンチェスターのチンピラがそのまま有名になっちゃったような感じなので、彼らのビックマウスっぷりは当時のメディアをよくも悪くも騒がしてきましたし、今でもその発言の数々はYouTuberとかにもロック定番ネタとしてよく取り上げられてます。
そういったロックスター然としてふてぶてしさのあるバンドって80年代はあまりありませんでした。
そういった意味でもイギリスからビッグなロックスターが再び現れたみたいな、扱われかただったと思います。
この尊大な態度は同郷の先輩バンドのザ・ストーン・ローゼズとかもそうだったんですけど、彼らは沈黙期間も長かったですしね。
そして、そのようなアーティスト像にピッタリ重なるような自信や確信に満ちたような歌詞も当然魅力です。
ソングライティング、リアムの歌、絵にかいたようなロックスター像、この三つの要素がうまいこと混ざり合って相乗効果を生んで大きくなっていったのが、ファースト、セカンドの時代のオアシスだったんです。
オアシスの弱点はなにか
ではオアシスのバンドとしての欠点っていったい何なのでしょうか(欠点は良い点の裏返しだったり、個性だったりして、一概にこれが欠点とはいえなかったりもするんですけど)。
これも大きく3つあると思っています。ノエル歌いたがり問題(ギャラガー兄弟、仲悪すぎ問題)、バンドの規模にマッチした人材の不足、リズムが面白くないですね。
全部大きく人材不足とくくってもいいとおもうんですけど、一つ一つ見ていきましょう。
ノエル歌いたがり問題(ギャラガー兄弟仲悪すぎ問題)
前述した通りオアシスの強みの一つがリアムのボーカルです。
しかし、ギャラガー兄弟の不仲が深刻化したのか、それともお兄ちゃんが歌うことに目ざめちゃったのか、ビートルズみたいに自分の作った曲は自分で歌うスタイルになってしまったのか、4枚目以降リアムではなく、ノエルが歌う曲が増えていきました。
ノエルも勿論悪いボーカリストではないとは思います。
ケミカル・ブラザーズの楽曲でフィーチャーされてるのとかは凄くよかったですしね。
しかし、ノエルのボーカルスタイルって割と牧歌的というか、田舎の兄ちゃんがのんびり歌ってるような雰囲気がでちゃうんですよね。
それに、リアムという、ロック界随一のボーカリストに歌わせないというのはあまりにも勿体なさ過ぎます。
まあこれはコンサートの途中で、リアムが帰っちゃうとか、そもそも会場に来ないとか、そういう問題もあったりして、「じゃあ最初から自分が歌う曲増やすわ」とノエルがおもっちゃったのもあるとは思いますが……。
というかギャラガー兄弟の仲が悪すぎなんですよね……。もうちょっと二人の仲が良かったら、バンドももう少しうまい事回っていったと思いますし、アニキも「これは凄い曲だ」と思った時に素直にリアムにボーカルさせてた曲も増えてたのかなと。
バンドの規模にマッチした頼れるプレイヤーがいない
80年代を代表するイギリスのバンドで、ザ・スミスという人たちがいます。
ソングライティングの要であり、フロントマンであるボーカルのモリッシーとギターのジョニー・マーがどうしても目立つバンドですが、ベースのアンディ・ルークとドラムのマイク・ジョイスのプレイもかなりそのサウンドに貢献しています。
またレッド・ツェッペリンやラッシュなど、ビッグなバンドはメンバーがそれぞれの楽器でその専門雑誌の表紙を飾れるほどのテクニックやアレンジセンスを有していることも多いです。
そこまでの並外れたテクニックがないとしても、例えばオアシスのライバルバンドのブラーなんかは、メインソングライターのデーモン・アルバーン以外のメンバーもキャラが立っていますし、印象的な演奏も多いです。
このように時代を代表するバンドというものはフロントマンやソングライターだけの才能で成り立っているわけではありません。
他のメンバーもその人気に説得力があるような演奏力、アレンジセンスを当然兼ね備えているものです。
ところが、オアシスは90年代最大のロックアクトの一つであるにもかかわらず、ギャラガー兄弟以外のメンバーの演奏能力、アレンジ力は正直パッとしなかったりします。
逆にそれにもかかわらずここまでビッグになれたのも凄いんですけどね。
2ndからドラムがアラン・ホワイトになり、バンドアンサンブルが強化されましたが、正直彼の演奏も3rd以降は失速、存在感を失っている感じですし、元ライドのギタリスト、アンディ・ベルを5枚目の前に加入させていますが、ベーシストとしての謎の起用だったり、リンゴ・スターの息子のザック・スターキーをドラムとして入れるも、すぐに解散、時すでに遅しだったりします。
メンバーの入れ替わりが激しいのもバンドとしての安定感という意味ではマイナスです。
この様にギャラガー兄弟以外のメンバーが流動的だったり、バンドの柱として成り立つような活躍ができる他のプレイヤーがいないことで、アレンジ面でのバリエーションも作りにくく、楽曲の良さを担保するものがソングライティングに偏らざるを得なくなります。
そして、オアシスの曲のほとんどを作曲しているのが言うまでもなく、ギャラガー兄弟の兄貴のノエルです。
一枚目、二枚目まではそれでも名曲連発できていたんですけど、さすがに三枚目になると息切れしてきた感はあるんですよね。
前述した通りオアシスは巧妙なアレンジで聴き手を飽きさせないようなタイプのバンドではないので、曲がよくないとそれがアルバムの成否に直結してしまいます。
メンバーの厚みに不安があるということが、ノエルのソングライティングの調子にどうしても左右されてしまうという別の弱点を生んでいると言えます。
実は5枚目からボーカルのリアムが作曲するようになったり、曲を作れるメンバーが加入したりしたので、ソングライティング面での弱点をカバーしようとしたのかもしれません。
リズムが面白くない
僕は当然オアシス好きなんですけど、苦手な人、いまいちよさがわからない人がいるのも理解できるんですよね。
オアシス最大の弱点はやはりリズムに複雑性やバリエーションが少ない点だとおもうんですよ。例えば彼らが目標としてきたビートルズには少なからずR&Bや、ファンクやジャズ、ブルーズなどブラックミュージックの影響が色濃くありました。
キャッチーなメロディーと体を揺らしてくれるリズムなどがちゃんと同居していて、メロディー、リズム面で、両方楽しませてくれるんです。
例えば、ザ・ストーン・ローゼズはクラブカルチャーやダンスミュージックの快楽性を見事にギターミュージックに落とし込んでいましたし、ザ・スミスもR&Bの影響が濃厚です。
ところが、オアシスはブラックミュージックの影響や、リズム面での冒険や快楽性が希薄であるため、音楽を聴くときにかなりリズムを重視するリスナーからそっぽを向かれても、仕方ないとおもいます。
勿論オアシスの曲のリズムが全部悪いというわけでもないです。
例えばJohnny Jenkinsという歌手の”I Walk on Guilded Splinters”のドラムをサンプリングした、「Go Let It Out」はリズムの快楽性とノエルのボーカルの良さが合わさった超名曲で、オアシスが持っていた可能性を提示していると思います。
ただ、前述した彼らがリファレンスにしてきた、またはリスペクトしてきたバンドに比べて、踊れるタイプの曲、リズムにフォーカスした曲の比重は少ないです。
ではどうすればよかったのか(本題)どのタイミングで変わるべきだったのか。
じゃあどの時点でどうすれば、ファーストやセカンドアルバムの様な、ロック史に残る名盤、あるいはそこまで行かなくても最高傑作がどれかという意見がもっと割れる様なアルバムをサード以降に作れたのでしょうか。
サードの『BE HERE NOW』に関してはこうすればもっといいアルバムになったんじゃないかというのを詳しくかいたので端折ります。
このアルバムについてはその時のメンバーでプロダクションにもっと時間をかけていればもっと良いアルバムになったと思いますし、良い評価を獲得できたと思います。
4枚目の『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』 (Standing on the Shoulder of Giants)も、実はリズムの欠点をカバーするような曲もあり、なかなか面白いアルバムだったので、まあ良いとします。
やはりターニングポイントは5枚目の『ヒーザン・ケミストリー』(Heathen Chemistry、2002年発表)だったと思うんですよね。
そこでメンバーが大きく入れ替わったのでバンドが大きく変革するチャンスだったんです。
『ヒーザン・ケミストリー』
ファンの方はご存知でしょうが、前作の制作途中でボーンヘッドとギグジーというオリジナルメンバーが脱退しました。
それでこの5枚目の前に、ヘヴィー・ステレオというバンドでギターボーカルだったゲム・アーチャーと、シューゲイズの始祖的なバンドの一つ、ライドのギタリストだったアンディ・ベルをベーシストとして迎えたんです。
ここでまず一つツッコミたいと思います。
アンディ・ベルを何故ベーシストに起用した???
もともとゲムの方が最初にオアシス加入が決まってるからじゃアンディはベースで、となったんでしょうが、それなら他のベテランのベーシストを引っ張ってきたらよかったんじゃないかと思うんですよね。
そもそもアンディ・ベルが在籍していたライドはシューゲイズ御三家の一角であり、ギターミュージックの歴史に少なからぬ影響を与えたバンドでもあります。
そんなバンドでリードギターをやっていたアンディがベースというのは勿体ないです。
ライドも後半はブリットポップにくくられるようなシューゲイズじゃない割とオーソドックスでポップなギターロックを展開していたり、ライドの次にやっていたHurricane #1ってバンドなんかもろにオアシスっぽいロックをやってたりするので、アンディがギターとして参加してもオアシスのサウンドに溶け込むのに問題はなかったと思うんですよね。
むしろいっそライド初期のシューゲイズ的なサウンド、すなわちアンディのトレードマーク的なリッケンバッカーのきらびやかなサウンドが、オアシスにどんな化学変化を引き起こすのかを聴いてみたかったです。
初期から三枚目までのオアシスの轟音サウンドはそれこそシューゲイズとも解釈できますし、シューゲイズバンドとしてオアシスを再出発させるのも正直アリだった気がします。
ということで、やはり折角アンディが加入したんだったら、アンディがリッケンバッカーで、ライド初期みたいなシューゲイズサウンドと、ノエルとはまた違った方向性の美メロの曲を持ち込んで欲しかったですね。
また、アンディはライドでリードボーカルのマーク・ガードナーと一緒に美しいコーラスワークも聴かせてましたので、ギター弾きながらオアシスにまた別のハーモニーを加えて欲しかったなと思います。
ベースを誰にすべきか。
じゃあアンディがギターならベースを誰にすべきなんでしょうか。候補を複数挙げてみたいと思います。
①スティーブ・ケラルト
スティーブ・ケラルトはアンディと同じでライドに在籍していました。
昔同じバンドだったよしみでスティーブをアンディが引っ張ってくることもできたんじゃないでしょうか。
ライドつながりで呼べばいいんじゃないってただ言っているわけではなくて、スティーブのベースがかなりいいんですよね。
ロック的なダイナミズムを感じさせる力強くてメロディアス、グルーヴィーなベースラインはオアシスにもきっといい影響をもたらしたはずです。
②スチュアート・ゼンダー
アシッド・ジャズ / ファンクバンドとして90年代に一世を風靡したジェイ・ケイを中心とするバンドプロジェクト、ジャミロクワイの初期三枚のアルバムのベーシストだったのが、スチュアート・ゼンダーです。
ゼンダーは当時ベーシストとしてかなり注目されており、間違いなく、ジャミロクワイのサウンドの重要な部分を担っていたベーシストでした。
このファンクバンドで培ったリズムやグルーヴの経験をオアシスに持ち込んだらどうなるのか非常に期待がもてます。
また、ゼンダーは1998年にジャミロクワイを辞めているため、『ヒーザン・ケミストリー』が出る2002年の段階ではフリーなはずでタイミングとしても申し分ないと思います。
マイナス点としてはやはり音楽性が違い過ぎるので噛み合うかは謎なのと、イギリスのバンドということぐらいしか共通点がなく、ワンマンバンドに不満を持って飛び出してきたので、同じようなギャラガー兄弟が覇権を握るバンドには入りたがらないのでは、ということですかね。
③マニ(ゲイリー・マイケル・”マニ”・マウンフィールド)
ストーン・ローゼズとプライマル・スクリームという英国を代表する2大バンドのベーシストを務めていたのが、マニです。
オアシスの弱点として挙げていたリズム面を強化してくれることは間違いないとおもいますし、メロディアスで耳心地のよいフレーズから、かなりロックで激しめなプレイまで幅広く安定感を持ったプレイができるのはすでに前述した両バンドでの活動で実証済みです。
懸念事項としては、2002年当時、もうすでにプライマル・スクリームに加入しており、丁度『XTRMNTR』というかなり充実したアルバムを発表したばかりだし、バンドが彼を手放したがらないし、本人もオアシスに入りたいと思わないのでは、ということですね。
ということでとりあえず3人挙げてみました。
「ちょっとまて、アンディをギターに据えるところまではまあ、わからんでもないけど、いくら何でもいろんな所からベーシスト引っ張ってくるのはやりすぎだし、いくら妄想とはいえ非現実的すぎないか」
と思われるかもしれません。
確かにそうなんですよね。わかりました。ではこうします。
まず、ギターはアンディです。
ゲム・アーチャーもすでに加入しているものとしてギターでOKです。
え、じゃあベースはどうするのかって?
勿論ノエルがベースですよ。
ここでもう一回4枚目収録の「Go let it out」に登場してもらいましょう。
この曲、やけにベースがカッコいいし、オアシスにしては目立ってるなと思ったらPVでみれる様にノエルが弾いてるんですよね。
ノエルをベースに仕立てることで、自然とベースがちゃんと目立てるようなグルーヴィ―な曲が増え、ギターの二人もノエルに遠慮することなくのびのびと自分のプレイができるんじゃないでしょうか。
あとはノエルが自分で歌を歌うのを控えて、リアムに歌わせて、アンディにライド時代みたいな美メロの曲を作ってもらい、世界一のロックボーカリストに歌ってもらえば第二の黄金時代がオアシスに到来していたに違いありません。
結論
『ヒーザン・ケミストリー』の時点でアンディ・ベルとゲム・アーチャーをギターに、ノエルはベースにして、ノエルは極力リードボーカルをとらない。
まとめ
ということで妄想を垂れ流してみましたけれども、正直このオアシス改造計画がうまくいくとは思えないんですよね……。
やはり初期オアシスを聴いているとどうしてもこのスタイル以上のものがよくも悪くも想像できないというか、「これでいいじゃん」とおもってしまいます。
けど、その「これ」がなかなか後期のオアシスの活動からは出てこないんですよね……。
リアルタイムでアルバムを聴いて、毎回期待しては「悪くはないけど、まあ、こんな感じだとよね」と納得しているうちにバンドは解散してしまうという。
極端な話、3枚目で解散して伝説を作って終わるのもありだった気がしてしまいます。