「ロック史上もっとも偉大な作品」の一つとして評されることの多いビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)の1966年発表の名盤『ペット・サウンズ』(Pet Sounds)。
ビーチ・ボーイズの音楽的支柱である、ブライアン・ウィルソンが勢力を尽くして作り上げた、煌めくようなポップソングがぎっしりと詰まったアルバムなんですけど、「分かりにくい」「思ったよりも良くない」「すごさがよくわからない」という声が多い一枚でもあるんです。
実際にTwitterで同じような意見を何度も目にしました。
そして、なにを隠そう実は僕も昔そうおもってて、正直聴き始めてから何年もその良さがわかりませんでした。
では何故「難解」「良さがわからない」「どこが凄いの?」っていう声が多くなってしまうのでしょうか。
そこで、自分の経験も含めて、どうして『ペット・サウンズ』は「難解」「わかりにくい」「本当に名盤なの?」って思われてしまうのか、ということを考察していきたいと思います。
さっき書いた通り、僕も最初は本作に対して「いうほど凄くなくない?」「よくわかんない」っていうネガティブな感想をもってたんですよ。
でも、今では歴史的価値があるからとか評論家の評価が高いからとかではなく、純粋に素晴らしい作品として楽しみながら『ペット・サウンズ』最高!っていえるようになったので、そう思うに至った経緯を交えて、こう聴いてみたらもっと楽しめるんじゃないかという提案もしたいと思います。
1.「ロック」の名盤として紹介されるから。
Pet Sounds は結構好きになるのに時間がかかった。
— JMX (@JmxMbp) November 19, 2018
というのは明らかに慣れ親しんだロックと文法が違ったから。
だから最初は初期や70年代以降のビーチボーイズの方が好きだった。歌詞を読むようになったのも大きいかな。
Pet Sounds は歌詞も良い。
1966年という半世紀以上前に発売されたこのアルバムを聴いてみようと思うきっかけとして一番多いんじゃないかなと思うのは、やはり名盤ランキングだと思うんですよね。
特にロック系のメディアは歴史が長いこともあり、オールタイムベストを作るのが好きですから、「ロックの名盤」として本作が上位にあって聴いてみたという方も多いんじゃないでしょうか。
しかし、普通リスナーがロックに求めるもの、期待するものってある種の「猥雑さ」や「荒々しさ」や「得体の知れないもの」「高揚感」だったりすると思うんですよね。
特に「偉大な」レコードにはそれらの「ロック的な」何かにプラスして、何らかのスケールのデカさや「圧倒されるようなもの」を求めると思うんですよ。
ところがこの『ポップ・サウンズ』はその正反対とも言える、「丁寧に作られた」「上質のポップが楽しめる」「極めて内省的な歌詞をもつ」レコードなんです。
なのでロック的なものを期待すると肩透かしを食らうんですね。
これが『ペット・サウンズ』が期待外れとされる一因になっていると思われます。
勿論「ロックの名盤」ランキングには同じように、ダイナミズムや暴力性ではなくソフィスティケイトされた完成度の高さを売りにする「おとなしくて上品な」アルバムも「内省的な」アルバムも沢山でてきます。
ではなぜ、『ペット・サウンズ』だけがこんなにもやり玉に挙げられるのでしょうか。
勿論有名だからというのはありますが、それらのアルバムと本作との本質的な違いは一体なんなのでしょうか。
もう少し突っ込んで音楽的に違いを明らかにしていきたいと思います。
じつはですね、本作の楽曲の構造はロックのみならず、昨今メインストリームになっている、R&Bやラップミュージックといった、ビートを強調した音楽の潮流からも外れているアルバムなんです。
そのことはドラムのアレンジに注目して聴いてみると一目瞭然だと思います。
ロックもそうなんですけど今主流になっている音楽は、リズム、ビートが命になっていて踊れるリズムがずっと続いているのが基本形で、それに対して、これまたリズミカルなラップが入ってきたりボーカルが入ってきたりします。
対して『ペット・サウンズ』っていうのは核となるリズムがなかったり、なかなか見つけにくかったりするんですよね。
曲によってもそうだし、一曲のなかでさえリズムを担っている楽器、パートが、コロコロ変わるので、最近の音楽よりもノリにくさがあるんです。
そのことが一番わかりやすいのが、一般的に人々がリズムに体を揺らす時にあわせやすい、ドラムのアレンジです。
本作のドラムアレンジはかなり実験的で、紋切り型のアプローチがほとんどありません。
そもそもドラムが入っていない部分も普通のレコードに比べて多く、一定のリズムを叩かずフレーズとして聴かせるように、演出として入ってくることも多いです。
もともとはバハマ諸島の民謡であることから、本作で一番シンプルでオーソドックスな楽曲構成と言える「Sloop John B」ですら、ドラムにずっと繰り返されるパターンと言えるようなものがなく、どんどん変化していきます。
そういう意味では、ビートやノリというものを中心に音楽を聴いている人たちにとってはものすごく異質なアルバムに思えてしまうと思うんですよね。
それこそ「楽しみ方がよくわからない」という人も多いんじゃないかなと思います。
ここで勘違いして欲しくないのが、あくまでノリが他の音楽に比べてとらえづらいというだけで、リズム面で貧弱なアルバムというわけではまったくありません。
前述したとおり、リズムを担うパートがコロコロ変わるというだけなので、そこに注目すればリズム面でも十分楽しめます。
さらにこのアルバムは、ビートという側面に限らず、楽器の編成や、アレンジ、コード進行においても、破格の表現があったりもします。
一見ポップでとっつきやすそうなのに、文法が異なるのでなんかわかり難いという不思議な現象が起きてしまうのです。
ということで、ロックのファンであったりヒップホップのファンだったり、現代のリスナーが日頃慣れ親しんでるあるいは期待するフォーマットとは違うもの(特にリズム面)が提供されてるというのが「ペット・サウンズ」が「難解」である、もしくは「難解」に思えてしまう、一番大きな要因だと思います。
「ロック的なもの」を期待しない、そして最近の音楽の主流とはそもそも文法やフォーマットが異なる、ということを念頭において、聴いてみると、もう少しフラットに『ペット・サウンズ』を受け入れることができるのではないでしょうか。
この『ペット・サウンズ』の独特のリズム構成は、比較的最近のアルバムでいうと、フランク・オーシャンの2010年代を代表する名盤、『Blonde』を想起させます。
フランク・オーシャン自身、R&Bという、ビートが非常に重要なジャンルからの出自であるにもかかわらず、『Blonde』はドラムが入ってない曲が大半なんですよね。
やや乱暴かもしれないですけど「これは『Blonde』みたいなものだ」と思って『ペット・サウンズ』を聴いてみるといいかもしれませんね。
2枚とも内省的な歌詞世界(後程言及します)でも似通っていたりします。
2. 歌詞のすばらしさが伝わりにくい。
ペットサウンズの大きな魅力の一つが歌詞だと思ってて、歌詞に興味ない人はピンと来にくいだろうなと思う。
— JMX (@JmxMbp) June 14, 2020
『ペット・サウンズ』が名盤とされる根拠の一つはその歌詞のすばらしさにあります。
本作の歌詞は、ブライアン・ウィルソンが当時いだいていた、孤独感、未来への不安、自身の無さ、疎外感、人間関係の悩みという、普段なかなか吐露できないような私的な感情を、作詞家トニー・アッシャーが翻訳するように落とし込んでいったものなんです。
つまり、『ペット・サウンズ』では、そういった誰もが感じるような、それでいてなかなか口にできない様な悩み、ネガティブな感情が、巧みに、そしてわかりやすい言葉で表現されているんです。
サウンドはどうしても古くなっていってしまいますが、これらのテーマ、曲にこめられた感情は普遍であり、多くの共感、支持を現在でも受け続けていますし、評論家も評価しているポイントです。
ところが、本作はアメリカで制作されたアルバムであり、当然のごとく英語でうたわれています。
我々日本人には歌詞がスッと入ってきません。
つまり『ペット・サウンズ』の高評価を担っている大きな部分をひと手間かけないと楽しめないのです。
ということで、英語ができる人は英語を見ながら、そうでない人はCDのライナーについてる、もしくはネットにあがってる対訳なんかを見ながら、聴いてみたらいいんじゃないかと思います。
僕もですね実はペットサウンズって歌詞がものすごくいいんじゃないかっていうことにある日気づいて、歌詞をちゃんと読みながら聴いてみたんです。
そしたら歌詞の内容がサウンドと一体になってスッと入ってきたんですね。
歌詞を理解することで、内容に共感できただけでなく、曲の構成や構築されたサウンドの意味もわかってきたんです。
それ以降『ペット・サウンズ』が極めて身近に感じられ、グッと好きになりました。
ちなみに。『ペット・サウンズ』で提示されている、メランコリックな感情、憂鬱をポップに歌いこんでいる現代のアーティストというとカナダのラッパー、ドレイクが思い浮かびます。
もちろん、それこそビートの気持ちよさがドレイクのキモだったりするんで、音楽性とかはもちろん違うんですけども、うたわれている内容とかその孤独感みたいなところは結構通じるところがあるんで、ドレイクの歌詞が好き、アルバム単位でいうと『Take Care』とか好きだという人はぜひ聴いてみてほしいと思ってます。
3. モノラルミックスがどうしても古臭く聞こえてしまう。
すまん。『ペットサウンズ』ステレオミックス素晴らしすぎて泣けてくる。今までピンと来てなかった人は是非ステレオミックスで聴いてみてくれ。あと一曲目は飛ばしてくれ…。https://t.co/3VlK0iXdGk
— JMX (@JmxMbp) November 22, 2021
1960年代の当時、すでにステレオでの録音物っていうのは一般的にはなってきていて、モノラル録音は廃れてきていたんですけれども、ブライアン・ウィルソンの右耳の聴力が落ちていたので、ビーチボーイズのこの頃のアルバムっていうのは基本的にモノラルで制作されていたんです。
というわけで『ペット・サウンズ』もモノラルで制作され、モノラルで発売されました。
ステレオバージョンも疑似ステレオということで発売されたんですけど、CD化される際には、そういう声が多かったのか、オリジナルのモノミックスで発売されることが多かったんです。
日本版のCDの帯なんかにもわざわざ「オリジナル・モノ・ミックス」盤であることが謳われていたりするわけです。
ということで市場に流通している『ペット・サウンズ』はモノラル音源が多く、ストリーミングサービスなどでの検索して最初に出てくるのはモノバージョンなんで、モノラル音源『ペット・サウンズ』を最初に聴く人が9割ぐらいなんじゃないでしょうか。
ところがですねステレオのサウンドに慣れてる我々にとって、結構このモノラルの音が塊になってぶつかってくる感じっていうのは古臭く感じられてしまうんですよね。
白黒映画とフルカラーの映画ぐらいの違いとまでは言わないまでも、無視できない違いが存在します。
それこそ、下手したらモノラル全盛の1950年代以前の音源に聴こえてしまう。
『ペット・サウンズ』は、60年代当時においてもかなり先進的な内容なのに、録音は同時代のものと比べても、モノミックスの古臭さがあるんです。
これも『ペット・サウンズ』のとっつきにくさの一つの原因じゃないかと思うんですよね。
実は1997年にブライアン自身が立ち会って行われたステレオバージョンのミックスが存在していて、これがモノラルよりも我々の耳馴染みのある音に聞こえるんです。
ということでモノラルヴァージョンを聞いてあまりピンとこなかったっていう人は、ステレオバージョンにトライして聞いてみてほしいなと思ってます。
※Spotifyで聴く。この50周年盤の後半がリマスターされたステレオミックス。1997年のステレオミックスよりさらに聴きやすくなっている。
だいぶ古臭さが緩和され聴きやすくなった感覚があると思います。
特に普段スマホで再生してイヤホンで音楽を聴いている人だと違いがかなりあると思います。
勿論、モノラルはモノラルで、良さがあり、例えば音の塊が迫ってくるっていう迫力があったりするんです。
そんなわけで「ビートルズはモノミックスを聴かないと理解したことにならない」っていうファンもいるぐらいなんですけど、『ペット・サウンズ』という繊細に作り込まれたアルバムには、音のが細かく振り分けられた方ステレオサウンドの方が、本来ブライアン・ウィルソンが表現しようとしていた世界に近いんじゃないかと思うんですよね。
まとめ:「素敵じゃないか?」が悪いんじゃないか説
ペットサウンズがとっつきにくいのは頭の「素敵じゃないか」のハッピーバイブスがアルバム全体の内省さとマッチしてないからなんじゃないかと。
— JMX (@JmxMbp) March 27, 2021
https://t.co/Zh8vVHo1A0
どうだったでしょうか。改めて『ペット・サウンズ』が「難解」「おもったより良くない」とされる要因をまとめてみたいと思います。
- 我々が普段耳にしている音楽と(特にリズム面で)文法が異なる点が多く、楽しみづらい。
- 高い評価の一因である歌詞が英語であるため、日本人の我々にはわかりにくい。
- モノラルサウンドがステレオに慣れている我々にはどうしても古臭く聴こえてしまう。
対して「こう聴いてみては?」という提案がこちらです。
- 「ロック的なもの」や現代的なビートミュージックの快楽性を最初から追い求めずに聴いてみる。
- 歌詞や対訳をみながら楽しんでみる。
- ステレオミックスを聴いてみる。
もちろん無理に聞く必要はないとは思うんですよ。
特に、無条件で踊れるアルバムではないので、音楽にそういうものを求めている人には合わない可能性が大きいですし。
「今まで、あまりピンとこなかったけどみんながいいって言うからやはり分かるようになりたい」と思う人はちょっと挑戦してみたらいいんじゃないかなと思っています。
あとですね、もう一つ大きな理由があるんじゃないかなと思ってて、1曲目が「素敵じゃないか」(Wouldn’t It Be Nice)なのが悪いんじゃないかと思うことがたまにあって。
この曲、アルバム全体のトーンと違うめちゃくちゃ明るい曲なんですよね。
アルバムの一曲目ってそのアルバム自体の自己紹介的な側面があるじゃないですか。
そういう意味だともう詐欺みたいに明るいんですよね(笑)。
ハッピーでいい曲ではあるんですけれども、アルバム全体の暗さや内省的な雰囲気とはそぐわないし、「ポピュラーミュージックの歴史の中で非常に重要とされているアルバムの、一曲目にしては軽すぎないか」という感想を持つ人もいるんじゃないかなと思います。
実際僕も『ペット・サウンズ』に何回かトライしてみようと思って、一曲目の『素敵じゃないか』で「やっぱりこれはちょっと自分向きじゃないな」と思ってやめちゃったことなんか二度、三度じゃないんで(笑)。
歌詞を読み込むという試みでもwouldn’t be〜というフレーズが、仮定法と否定形の疑問分が合わさったものなので、いきなり「わけわかんないぞ」ってなりやすいと思うんですよね。
極論を言うと1曲目を飛ばして2曲めから聞くっていうのも一つの手なんじゃないかなと思ってます。
結論:1曲目を飛ばそう。
おまけ
書籍から興味を深めるのもアリですね。
ジム・フジーリというアメリカの音楽ライターが書いた『ペット・サウンズ』というアルバムのドキュメント的な一冊があって、レコーディングの背景や、当時ブライアンがおかれていた状況などがわかります。
文庫化されてますので安価で手に入るのもポイントです。ちなみに翻訳は村上春樹です。
CD買って歌詞みながらじっくり聴きたいなら、2枚組なので多少値は張りますが、ステレオとモノ両方入ってるこちらがおススメです。