今回は8年ぐらい曲を作れなかった自分が、あるきっかけで急に曲が作れるようになった経緯を話したいと思います。
長い間曲を作りたいとおもっても、なかなか作れなかったので、
この経験をシェアして「曲が作れない」という同じ悩みを持つ方に少しでも参考になってもらえればいいと思って書きました。
再現性があるかどうかはわかりませんが、ヒントはつかめるのではないかと思っています。
曲が作れない期~ギター初めてから8年目まで~
中学校1年生位の時に、ロックに目覚めまして、ギターを始めました。
それまでも音楽はぼちぼち聴いていたんですけど、『青春デンデケデケデケ』という古い映画を親に見せられまして、「あ、バンドって楽しそうだな」と思ったのがきっかけでした。
それからずっとほぼ毎日何らかの形でギター触ってたんですけど、大学3年生位の時まで全く曲が作れなかったですね。
実に8年間曲をつくりたいと思っても満足に作れなかったんです。
もちろん最初のころはギター覚えたてで、技術的知識的に不足があり、作れなかったのも当然だったとは思いますが。
ま、始めたばっかりの人ですぐに曲を作り始めることができたと言う人もたくさんいるので、最初は作曲にそれほど興味がなかったのかもしれません。
ギターを始めて2年位経った頃から僕も何回か曲を作ろうとして色々と思いついたフレーズや歌詞を書き溜めはじめました。
ところがちゃんとした曲に完成させることができなかったんですね。
できたとしても、断片的なもので自分の満足するようなものはあまり作れませんでした。
今思い返してみるとその時に諦めずに不細工でも何でもいいからとにかく曲をたくさん作っていれば上達したんですけど、そうしなかったのが1つ失敗でしたね。
その時はそんな考えもなく、ただ自分の知識が技術が不足していたから、いや、自分には曲を作る才能がなかったと思い込んでいたのかもしれません。
「曲を作ると言う事は一部の限られた人間にしかできないこと」だと思っていたのだと思います。
今にして思えば全然そんなことなくて、だたの曲を作ることから逃げるための言い訳なんですけど。
技能の1つで、一度身に付ければ、それがいい曲であるかどうか別として、作曲は誰にでもできるものだと今は思っています。
とにかく曲が作れないという状況がずっと大学3年生ぐらいまで続いていて、断片的なフレーズやギターリフが数十個と、ちゃんと完成した曲は3曲しか持っていないと言う状況でした。
そんな状況が一変したのは、大学の先輩からの、あるお誘いからでした。
歌詞に曲をあてることは得意だったという発見。
ある日大学の先輩がやってるコミックバンドに参加しないかというお誘いを受けたんですね。
コミックバンドと言うのはまぁその名の通り面白おかしい曲を作ると言うようなバンドですね。
今で言うとヤバイTシャツ屋さんとかがそうですね。
昔だと古いですけど、ドリフターズとかハナ肇とクレージーキャッツとか。
マキシマムザホルモンとかゲスの極み乙女とか、曲調はシリアスなんですけど歌詞はユーモラスだったりするので、広い解釈ではコミックバンド的な要素もあります。
と、今はこのようにちょっとふざけた曲を作って売れていると言うバンドは結構あるんですけど、当時は2000年代の後半であんまりコミックバンドは今よりは人気ではなかったんですよ。
と言うことでそのバンドも何かしらプロになろうとかそういう高い志と言うよりは、気軽に面白い曲を作って発表しようと言うコンセプトで始まったバンドでした。
しかし歌詞は面白いけど曲調はシリアスに作りたいと思っていたので、音楽的には真面目な曲調の物を志向していました。
前置きが長くなってしまいましたが、そんなわけでそのバンドに誘われて、先輩が書いてきたいくつかの歌詞に、僕が曲をつけることになりました。
先輩はできたらでいいからと言う気軽なノリで僕に依頼してきてくれたので、駄目だったら駄目でしょうがないと言う感じで先輩の帰ってきた歌詞に曲をつけると言う試みにチャレンジしていました。
ところがこれで僕の作曲能力は開花したんですよね。
つまり僕は歌詞に曲をつけると言う事は結構得意だったって言うことに気づいたんです。
そんなわけで先輩が書いてきた4、5曲分の歌詞に曲をつけることで僕はソングライティングに対して自信をつけていきました。
ここで1つ断っておかなくてはいけないのは、いきなりそんな事ができたのは当時の僕にそれなりの下積みがあったからでした。
その時僕は曲のコード進行を耳でコピーするという、所謂耳コピという作業にはまっていたんですね。
当時は自分の好きな曲をひたすら耳コピしてそれこそ2、300曲ぐらいはコード進行を書き留めていたと思います。
ですので曲の展開だとか、こういう雰囲気を出したいときにこういうコードを使えば良いと言う事は大体頭に入っていたんですね。
そしてその耳コピの前段階としてビートルズやミスターチルドレン、スピッツ、井上陽水などの全曲集と呼ばれるコードと歌詞が載った楽譜をもとに弾き語りしていたから、コードを沢山知っていた、と言う経緯もありました。
つまりたくさんコードを覚えて、その経験もあったからたくさんの様々なバリエーションの曲を耳コピできるようにもなってたんです。
そういうバックグラウンドがあったものですから歌詞の雰囲気から方向性を決めてそれにコード進行当てはめメロディーをつけるということが割とすんなりとうまくいったんです。
量産、模索期
先輩とのそのコミックバンドの活動で僕は、曲を作る才能がなかったわけじゃなくて、アプローチの仕方がただ単に分かっていなかっただけと言うことがわかりました。
どうやら僕は歌詞に対して曲を作ると言う事は結構得意みたいだ、
いつの間にか出来る様になっていた、
ということがわかったので、それからは、どうやって歌詞を書くかということにフォーカスしていきました。
歌詞さえかければ曲は何とかなる、という状況でしたから。
今までの蓄積として歌詞の断片みたいなものはたくさん持っていたので、使えるものをつなぎ合わせたり拡張させたりしながらそれに曲をつけると言う作業やって、曲をたくさん作っていきました。
それからは自分でこういう曲を作りたいと思ったら、それに合うようなムードを持つ歌詞をまず書き、それに曲をつけていくと言うようなことをやっていきました。
こうして僕は自分の作曲のスタイルを見つけて、ようやく自信をもって作曲ができるようになりました。
時すでに遅し…
ただ、自由に曲がつくれるようになった時点でもう大学も結構長く通っていましたし、バンド活動もしんどくなってきてしまったので、これはもうゲームオーバーだなと言うことで就職してしまったんですよね。
プロのミュージシャンになると言う夢も一応あったんですけど、それはきっぱりと諦めました。
しかしですね、もうちょっと早く、例えばほんとにね高校生の時とかにね、あきらめないでちゃんと曲を作ることに向き合っていたら、もしくは歌詞に対して曲をつけるという方法をその時編み出していたらですね、違う未来もあったんじゃないかとも思うんですよね。
まあ今は定時に帰れて土日もちゃんと休める企業に就職して副業としてミュージシャン目指したほうがいいと思っているんですけどね。
ということで僕が曲を作れるようになった経緯を紹介していきました。
曲がどうしてこんなに長い間作れなかったのかは、もうちょっと詳しく下記の記事に書いています。
詳しく知りたいというかたは是非チェックしてみてください。