リバーポートソング 第十一話 曲が始まってしばらくすると不思議と周りの雑音が消え、聞こえるのはギターと歌だけになった。

【第十話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

 小田原に全員が集まったので早速目的地である伊豆半島の下田方面に向かうことになった。そこにバンド合宿ができるスタジオ付きの宿泊施設があるということだったが、その前に昼飯と観光がてら熱海によることになった。熱海といえばかつては関東の人々に人気の手頃な観光地だったが、移動手段の多様化によるライバルの増加と若年層の取り込みに苦戦しており、※①当時は一時期のような活況はなくなっていた。それでも僕にとっては熱海は初めて訪れる場所であり、メインストリートである商店街やアーケードは十分賑わっていたし、ここがあの有名な熱海か、という感動は十分にあった。アーケードは昼飯時で混んでいたこともあり、九人一度に入れるようなお店はなく、我々は食べたいもので三組に別れた。高岸、石田さん、藤田さんが鰻屋、深川さんと、高山さん、錦がうどん屋で、石崎さんと僕と成戸が、定食や丼物を出す店だった。正直僕はこの二人と一緒にいるのが一番安らげたので心穏やかだった。石崎さんと成戸は凄く話しやすいし、それに二人とも結構よく喋るタイプだったから僕は黙って話を聞いてお冷をのみながら頬杖をついて遠い目をして時々うなずいてるだけでよかった。そんな感じで注文の品が来る頃には僕のお冷は空になっていた。二人は僕と成戸の出会いのこと、成戸が最近地元にいた恋人と別れたこと、石崎さんの彼女のこと、などなど僕が※②あんまり興味がない事を話していたので僕は殆どぼーっとしていたと思う。彼女さんの写真を見せてもらったが石崎さんが自慢するだけのことだけあって確かに可愛く「かわいーじゃないですか。腹立つレベルですね」とか成戸に言われていた。その子は石崎さん達と同じ大学の一年でなんとなく石田さんに似ていたが、その事は言わなかった。食べ終わって商店街を物色して時間を潰しながら合流した。CD屋は見当たらなかった。並んでたとの調理時間がかかるのとで、鰻屋組が一番合流が遅かった。「美味しかったよー」と石田さんが快活に笑い、「あんなうまい物食べないなんて人生損だぞ」と藤田さんも冗談めかして言い放って皆笑った。
 車に戻って今度はいよいよ下田に向かう。下田市は伊豆半島のほぼ先端にある市で熱海からは大体二時間弱を見ておけば良いぐらいの距離である。ほぼ海沿いの道を二台の車は目的地まで黙々と走っていった。天気は少し曇っていて、雨が降ってきそうだった。車内は食後の満腹感で少し静かになり、運転席の石崎さん以外はみんなうとうとしていた。僕もいつのまにか寝てしまったらしく、その間成戸に寝顔を取られていたみたいで、後で写真を見せられてからかわれた。例のスタジオ付きのペンションは下田の中心から二十分ぐらい離れたなかなか辺鄙な所にあって、道も分かりにくく、印刷した周辺の地図と年長組二人の記憶を頼りにしてなんとかたどり着いた。途中で先行するメソポタミア文明ズの車と信号待ちで別れてしまったので、到着すると彼らはもう荷下ろしが終わった所だった。「どうした。迷ったか」と藤田さんが笑いながら言って、石崎さんも力なく笑った。藤田さんは何度も来ているらしく、ペンションのオーナーらしき四十代ぐらいの日に焼けてやけにチャラチャラしたおじさんと親しげに会話していた。そのおじさんは曇っているのにリアム・ギャラガーがしているような丸いサングラスをかけてハーフパンツにアロハシャツといういかにもな格好で、髪は肩にかかるぐらい長くて茶髪に染めていた。僕たちを適当に出迎えた後、藤田さんに「案内しといてね」とか言って原チャリにまたがると、どこかに消えていった。おじさんは怪しかったがペンション自体は白塗りの壁に青い屋根が映える綺麗な建物だった。我々は部屋をふた部屋借りていて、それぞれの部屋には何もなく、押し入れとロフトだけがあった。我々男子は五人だったのでロフトに三人でねて、後の二人は下で寝る事になりそうだった。押し入れには人数分の布団があった。楽器と荷物を部屋の隅に置くと我々は早速スタジオを見に行った。スタジオは十五畳と十八畳の二部屋で、防音もそれなりにきっちりしていそうだった。丁度屋我々と違うグループのバンドが一部屋スタジオを使っていたが、音は殆どもれてきていなかった。予約は部屋の前のホワイトボードに利用時間を書き込むスタイルで「1バンド連続2時間まで」と赤い掠れた文字で下の方に書いてあった。次に我々は談話室と呼ばれるリビングに向かった。そこはさっきのスタジオを二つつなげたぐらいの広さがあり、中央にソファーがコの字方に並べられていて、その中心にはテーブルがあり、入り口と反対側は全てガラス張りになっていたからソファーに座ると窓から中庭が見え、そこから中庭にも出れるみたいだった。入り口から左手側には大型のテレビとステレオがあり、備え付けの棚にはCDとDVDがびっしりと入っていた。そして棚の前にギタースタンドがあってYAMAHAのアコースティックギターが無造作に置かれていた。テレビと反対側の壁にはキッチンと冷蔵庫があって、冷蔵庫は自由に使って良いらしく、扉に使用のルールが張り付けてあった。
 早速僕と高岸はCD棚を物色し始めた。CDやDVDは自由に視聴可能で、殆どがビートルズ、ストーンズ、ピンク・フロイド、クラッシュなどのクラシックロック、パンクばかりで、ニューウェーブやヒップホップ、グランジなどのその後の流れがその棚の中では無かったことにされていた。比較的新しめなのはモー娘。とか鈴木亜美とかヒットしたJ-Pop(なぜか女性ボーカル限定)だけだった。石崎さんがアコギを手に取ったから「弾けるんすか?」と聞いたら「まさか」と言って※③「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のリフを弾き始めた。深川さんがギターを奪って※④ビートルズの「ブラックバード」を弾くと「『ラウンド・アバウト』やれ」って石崎さんがいい、深川さんは「いいよ」と言って「フロム・サ・ビギニング」を弾き始めて「ELPじゃねぇか!」と突っ込まれていた。その間藤田さんはキッチンで換気扇を回し、目を細めて旨そうにPeaceを吸っていた。そうこうしているうちに女子組が談話室に来ていた。時刻は四時過ぎで後一時間ほどしたら下田の街へ買い出しと夕食を食べに行くという。石田さんと高岸は早速新曲の打ち合わせで僕たちの部屋に篭ってしまった。石崎さんと藤田さんは談話室に置いてあった恐ろしく年季の入った※⑤スーパーファミコンで『マリオカート』をやり始め、深川さんはギターを弾きながらそれを見ている。僕は急に手持ち無沙汰になってしまった。残りの女子たちはスタジオに入って、成戸がボーカルで何かをやってみるらしい。暫くはCD棚を物色していたがちょっとそれも飽きてきた頃に成戸がやってきて「どうせ暇なら手伝って」と言ってギターを持ってスタジオまで来るようにいわれた。一応ノックしてから荷物を取りに部屋に入ると石田さんと高岸が文字通り顔を突き合わせて曲の細部を詰めているようだった。僕は素早く自分の機材を掴んで部屋を出ると恐る恐るスタジオに入っていった。成戸がマイクスタンドの前で構えていて、ドラムセットには高山さんが座っていて、キーボードの前に錦が立っていた。この時僕は錦がキーボード担当であることを知ったのだった。しかしつい四時間ほど前に知り合ってロクに話もしていない人とバンド経験者でも無いのによくスタジオに入れたなと、改めて成戸の積極性、社交性には驚かされた。僕が機材のセッティングをしている間に「さてなんの曲をやろうか」と言う話をみんながしていて、全員が出来そうな曲を探っていたがなかなかなく、やっとセッティングが終わったころに※⑥ナンバーガールの「透明少女」をやる事になった。錦はキーボードなのでキーボードがいないナンバーガールは当然コピーしていないが一応聴いてはいたのでなんとかやってみるとの事だった。一曲通す前に一応キメの部分だけ合わせた。バンドサウンドの要のベースが無いのとギターアンサンブルが売りの一つなのにギター一本でどうなる事かと思ったがコレが意外となんとかなるどころか、むしろ気持ちが良かった。高山さんのドラムはすらっとした彼女の見た目に反してパワフルだったし、成戸は思いのほか歌が上手く、原曲の荒々しさは無いものの、原曲とはまた別の情感がそこにはこもっていて透明少女の憂いみたいなものすら感じることができた。しかしなんといっても僕が心を打たれたのは錦のキーボード演奏だった。僕は単に原曲とほぼ同じアレンジでギターを弾いていればそれで良かったが、ベースレスで変則的なバンド編成を支えるために錦は歪ませた野太い音色を作って低音パートを担当し、所々、中域、高音域の※⑦オブリガートを入れ、全体のバランスをとりつつもきちんとプレイヤーとしても聴きどころを確保していた。何より彼女は、平常時のちょっとおとなしめな佇まいからは想像が出来ないほど、非常に熱をこめて、楽しそうに、かつ真剣なまなざしで演奏に望んでいて、その姿は実に格好良く、聴衆を魅了する要素をもっていた。途中から彼女に見惚れてしまって、僕は何回か弾く場所を間違いそうになったぐらいだった。ナンバーガール以外にも僕らはベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」をやり、そうこうしているうちに藤田さんが、そろそろ買い出しにいくぞ、とよびに来た。
 高岸、石田さん、石崎さん、そして深川さんは石崎さんの車で先に出てしまっていたので、スタジオで遊んでいたメンバープラス藤田さんで車に乗り込んだ。後部座席に女性陣三人が乗り込んで僕は助手席に座った。
 世の中にはごくたまに「この人はなんでも知ってるんじゃないだろうか」という人がいる。それが藤田さんだった。※⑧最初は成戸とカメラと写真家の話をし始めたと思ったら、そこから話題は映画になって※⑨錦と映画の話をし始め、また話が脱線し、TVと釣りの話になった。しかも藤田さんは知らない人を置いてきぼりにしないように知らない人が聴いても面白い様に話すのが上手かった。車内にはカントリーロックみたいな曲がずっと流れていて僕はずっとそれが気になっていたのでコレなんですかと、話の合間に聞いてみた。
「CCR、いや、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルっていう60年代末期から70年代初頭まで活躍してたアメリカのロックバンドだよ。いいでしょう」
「CCRは※⑩「雨を見たかい?」しか聴いたことなかったです。めちゃくちゃいいですね。コレなんてアルバムですか」
「オレが編集して作ったベスト盤。後でこのCD-Rあげるよ」
「この曲はなんていう曲なんですか?」
「Lodiって曲だよ。いいよね」
 日が沈んできて周りの景色が美しく輝き始めた。車内は静かになって音楽だけが鳴り響いていた。
 ショッピングモールで軽く日用品を買い込んでからモールに入っている和食のレストランに入り、帰りに食料品をたんまり買い込んで、往きと同じ組み合わせで帰路に着いた。時刻は八時ちょっとすぎだった気がしたがみんなぐったりとして帰りの車内は皆大人しかった。しばらくは往きと同じでCCRが流れていたが、日が落ちて暗くなった風景にはなんだかCCRは浮いている感じで、藤田さんもそう思ったのか信号で止まると※⑪CDを変え、何曲か飛ばして、音量を上げた。それは透明感のあるエレキギターとボーカルだけの曲だった。
 曲が始まってしばらくすると不思議と周りの雑音が消え、聞こえるのはギターと歌だけになった。
 それはエモーショナルでありながら静謐さをたたえており聴いているものを否応なしにその世界に引き摺り込んでいく魔術的な美しさがある曲だった。そして闇の中から自分1人だけに語りかけてきている様な切実さをたたえていた。曲が終わって我にかえった僕は言った。
「さっきの曲何ですか? なんていうか、凄いですね」
「ジェフ・バックリーのハレルヤ。うん。凄いんだ。もともとはカナダの詩人でミュージシャンのレナード・コーエンの曲のカバーなんだけど。でもジェフはね、このデビューアルバムを出したあと死んじゃうんだ」まるで親しかった人を語る様な口調だった。
「川で溺れたんだよ」
「残念ですね」
「うん。とても残念だ」
「私もジェフ・バックリー好きです」と錦が後部座席から言った。「ギターと歌だけでこんなにも豊かな世界を演出できるのが凄いですよね、そういうシンガーが好きです」僕は深く頷いた。しかしこれまではどう楽曲を飾り付けるかだけを考えてきたので戸惑いもあった。楽曲そのものの強度というか、プレイヤーのもつ技巧以外の力というか。そういったものにもっと目を向けるべきなんじゃないかという思いが湧いてきた。それは足し算引き算掛け算で楽曲を洗練させていく今の「すとれいしーぷす」の音楽性とは真逆の方向性に思えた。もっと「そこにあったものを発見して持ってきた」様な「もともと存在していた超自然的なものを楽器や人の手を介して顕在化させた」様な、そんな音楽こそが自分は心の底からやりたいのではないかと思えてきた。そう見えるだけで本当は人工的、技巧的なもので達成されるべきことなのかもしれないが、少なくてもそう感じられるものを目指さなくてはいけないのではないかと思い始めた。
「才能あるやつに限って早く亡くなったり、どっかにいっちゃったりするんだよ」
 藤田さんがポツリとつぶやいたその一言で僕は思考の底から戻ると急激に眠くなり世界はフェイドアウトしていった。
 次の日は藤田さんがみんなの為に作ってくれた朝食を済ませると早速朝からスタジオで練習に入った。今までの曲のおさらいをまずやって、それから前日の夜に簡単なデモ音源と構成を教えてもらった石田さんと高岸の共作の新曲五曲にとりかかった。二人の新作は確かに強力な曲ばかりで肉付けしていく作業は楽しかった。それはボウイやロキシー・ミュージックのグラムロック的な演劇的で攻撃的な楽曲(石田さん的要素)にXTCやパワーポップの親しみ安さとギタードリブンな音楽性(高岸的な要素)を融合させたような楽曲群だった。その時は結局二曲しか取り掛かれなかったが、バンドが更に進化したのを実感することができた。ギタードリブンといったが、実際僕のプレイはかなり高岸の指示したものを弾くということが多かった。当時の僕には確かに自分で皆を納得させるようなフレーズを作る能力はなかったので何もいえなかったが、そうなるとますますギターが僕である理由も見出せなかった。
 スタジオ連続練習時間の上限の二時間が終わったので、例の談話室に行くと、成戸が同じく合宿に来ていた他のバンドのメンバーと談笑していた。彼らは男だけのスリーピースバンドでスタジオから僕らが出てくるのを待っていたみたいで、お互いに軽く挨拶すると入れ替わりでスタジオに入っていった。一番成戸と親しげに話していた長身の男は黒のレザージャケットをきて赤いグレッチのギターを抱え、雰囲気もなんとなく浅井健一に似ており、すれ違う時にふっとタバコと香水の匂いがした。が周りを圧倒するような威圧感はなく、ひょうひょうとしていて物腰も柔らかな優男だった。成戸は僕らの練習の序盤でパチパチと写真を撮るもとどこかへ行ってしまったのだが、ずっと談話室で彼らと話していたのだろうか。
 成戸は何とか自分でやりたいことを見つけて楽しんでいるみたいだったが、やはり無理やりにでも断ればよかったと思った。昨日は問題なかったが合宿の本題である練習が始まるとどうしても成戸は手持無沙汰になってしまう。僕の気にしすぎなのかもしれないが、成戸が退屈していまいか気になるし、バンドの他のメンバーなんとなく気を遣ってしまってなかなか練習だけに集中できない気がした。僕たちは練習の振り返りをそのまま談話室で行った。成戸はパソコンで撮った写真を整理し始めた。三十分後ぐらいにメソポタミア文明ズの面々が出てきて、昼飯を食べに行きがてら、出かけることになった。

第十二話につづく

※①2018年現在熱海は若い世代を中心にした地道な活動が花開き、再び活況を取り戻しつつある。

※②当時の僕は高校で色々と辛い経験をしていたこともあって恋愛なんて興味が無かった。第一自分に自信がなく、積極的に他人と関わっていくような時期でも無かった。しかしこの時期はそんな僕の意思に反して、高岸や石田さん、石崎さん、成戸など、周りの人間は皆求心力のある人物ばかりで、僕の周りには自然と新しい人間関係が生じていた。というわけで色恋沙汰に関しては僕は周りの忙しない人間関係を、対岸の火事のように、ぼーっと見ていて、時々飛んでくる火の粉をめんどくさそうにさっと避けている様な感じだった。

※③「スモーク・オン・ザ・ウォーター」はイギリスのハードロックバンド、ディープ・パープルの代表曲で、めちゃくちゃ簡単なギターリフで有名。

※④ビートルズ「ブラックバード」はポール作のアコースティックギターによる弾き語りで、非常に印象的なギターフレーズで有名。「ラウンド・アバウト」はイギリスのプログレバンド、イエスの代表曲でアコースティックギターでは始まる。「フロム・ザ・ビギニング」は同じくイギリスのプログレバンド、エマーソン・レイク&パーマー(略してELP)の曲で、コレも美しいアコースティックギターのイントロで有名。

※⑤スーパーファミコンは任天堂の1990年代に一世を風靡したゲーム機器。『スーパーマリオカート』はマリオシリーズの世界観をレーシングゲームに持ち込んだヒット作。

※⑥ナンバーガールは福岡県出身のギターロックバンドで90年代の終わりから数年間の日本のバンドシーンを1番盛り上げだバンド。「透明少女」は彼らの代表曲。

※⑦オブリガートは歌と歌の間に入るちょっとした気の利いたフレーズのこと。おかずとも言う。一番有名なオブリガートのいい例はイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だろう。

2番のサビの歌の間に、なんともエモーショナルな短いギターのフレーズが入るのが確認できると思う。

※⑧成戸が好きな写真家は川内倫子植田正治。藤田さんは「(写真家は)森山大道とか土門拳、アラーキーしかしらんなぁ」とか言っていたが、ロバート・メイプルソープの話やバンドを撮りたいなら、ということでビートルズを撮っていたアストリッド・キルヒャー(Astrid Kirchherr)ペニー・スミスの話をしていた。因みに僕が写真に興味が出てきたのはだいたい梅佳代や川島小鳥が流行り出した頃だからこれより3年から5年ぐらい後である。

この車の中の会話の時点では藤田さんは色々と興味の広い人だなぐらいの印象だったのだが、付き合いが深くなるにつれその博覧強記っぷりにいつも驚かさせる事になる。

※⑨錦はかなりの映画好きで、この後僕は相当な数の映画を見る事になるのだが、彼女はその時僕が見た物の殆どを知っていた。

※⑩「雨をみたかい」(原題:”Have you ever seen the rain”)はCCRの代表曲で、本人達はその意図を否定しているが、ベトナム戦争の反戦歌としても親しまれている名曲。晴れの日に降る雨(天気雨)のことを歌っていて、それがベトナム戦争における爆撃の隠喩であるととらえられた様だ。もっとも彼らノンポリだったというわけでもなく、ストレートな反戦歌があったりする。「フォーチュネイト・サン(Fortunate Son)」は議員の息子は戦争に行かなくてもいいけどおいらは貧しいから行かなきゃみたいな歌詞で、これは当時よりも寧ろ現在のアメリカの方が切実なテーマだったりする。貧困から抜け出す手段の一つが軍への入隊だったりするからだ。

※⑪藤田さんの車にはCDチェンジャーがついていた。Bluetoothでスマホと同期させてサブスクの恩恵をそのまま車内に反映できる現在ではもはや無用の長物かもしれない。

第十二話につづく

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