リバーポートソング 第二話 僕はかなり熱に浮かされていて、将来の希望や展望、アイデアでいっぱいだった。しかしいざ日常に戻ってみると、夢想だけでそれを実現するための行動を何一つとろうとしなかった。

【第一話はここから】

【あらすじと今までのお話一覧】

 雪の日の出会いから僕は自然と柳のうちに遊びに行くようになった。僕は出会ったその日から柳とバンドを組みたいと強く思っていたが中々言い出せないでいた。
 理由は二つある。実はその出会いの日に、柳は自分のバンドを辞めてきた所だった。彼はその腕と知識を買われてか、大学のサークルの先輩からバンドに誘われてハイスタとゴイステを下地にしているであろうメロコアバンドに在籍していた。柳の音楽的な守備範囲からすると別に不思議では無い気もするのだが、後の柳のオリジナル曲を知っている身としては何故彼がパンクバンドに加入していたのか本当に謎である。
 柳はその秘められた自己主張と個性の強さとはとは裏腹に、人間関係において主導権を取ることに無頓着というか、ある意味流されやすい所もあるので、二つ返事で軽くOKしてしまったのだろうと勝手に思っている。
 とにかくその日、例のメロコアバンドは大雪にもかかわらず大学で練習があった。当然柳は部室兼スタジオに向かったのだが、時間になっても誰一人こない。携帯で連絡をとってみると「外をみてみろよ、今日は当然むりだろうが」と逆に怒られたそうだ。
「もういいかな、ってそのとき思ったんだよね」と柳はボソボソと喋った。結局スタジオでギターもひかず、四時間ぐらい好きにドラムを叩き、スタジオを出るときにメンバーに「辞めます」とメールして帰ってきたという。そんなわけで辞めた真意はつかめないがバンドを辞めたばかりの彼にまたすぐにやろうと持ちかけるのはなんとなく気が引けた。
 それにくだらない理由なんだけど柳の背が高すぎるのもちょっと気になった。柳は決して美形とは言えなかったけどサーストンムーアみたいに背が高くて(もちろんあそこまで高くはないが)、寡黙で、雰囲気のあるやつだった。いつも前髪が前にかかりぎみで、歌うときだけはっきりと目が見えた。対照的に僕はどちらかというと背が低い方だから、二人並ぶと凸凹の漫才コンビみたいにみえた。音楽的にいうなら、並んで歩くと二人はまるでサイモンとガーファンクルだった。しかし僕はポール・サイモンほどの作曲や歌の才覚もなく、能力的には歌が下手くそで背の低いガーファンクルだった。
 しかしこれはもう一つの理由じゃない。もっとデリケートな理由が一つあった。これはもっと話が長くなって大学入学当初、高岸との出会いから始めないとならない。
 
 高岸とは大学に星の数ほどあるバンドサークルの一つで知り合った。彼は(その後の事を考えれば本当に信じられないことだけれども)出会った当初は大学デビューに完全に失敗したオタクみたいな風貌で、早い話が僕らは似たもの同士で、サークルの新歓では僕らだけが浮いていた。そんなわけで居酒屋の隅っこでボソボソと探り探りに音楽の話を僕たちは始めた。
「出身どこ?」話しかけたのは僕が先だった。みんな盛り上がってる場所に集まっているから僕らの席の周りは人が居なくなっていて、いつの間にか僕らだけだった。よくある現象だ。
「石川県※①、君は?」高岸は、ずれたメガネをかけ直していった。
「僕は青森」
※②スーパーカーだね」
「そうそう!スーパーカー好きなの?」
「好き好き※③ナンバーガールもくるりも好きだよ」
その三バンドの話はきっかけに過ぎなかった。僕たちは二人ともイギリスのロックが大好きで、中でもビートルズが大好きで、XTCはもっと好きだという共通点に気がついたのだった。その日のうちに僕達はバンドを結成した。もっともメンバーは当然僕ら二人だけだった。高岸も僕もギターボーカルだ。ビートルズ、XTC、クラッシュ、ピンク・フロイド、フリートウッド・マック、ユニコーン…。僕達には複数のボーカリストやソングライターがいるバンドが理想だった。当然そういうバンドを目指すべきだと二人とも思っていた。コンセプトは中期XTCと初期ビートルズ、エルヴィス・コステロ&アトラクションズを足して割ったようなバンドだった。つまりポップなんだけど同時に攻撃的なギターロックだった。実現すればライブが楽しい凄いバンドが誕生するはずだった。二次会には行かずに僕らは二人だけで、駅前のマックに入り引き続き新しいバンドの話をしてバンド名の候補を考えた。ざっとこんな感じだ。

・ダンス・ダンス・ダンス※④
・ワインズバーグ、オハイオ
・September Girls
・No Surprises
・マジカル・コネクション
・Katie’s been gone

 ワインズバーグ、オハイオかKatie’s been goneのどちらかにしようということで、その場はお開きになった。もう朝になっていた。一週間後に大学で待ち合わせして、高岸の部屋でお互いに一曲づつ書いてきて披露するということになり、その場で眠い目をこすりながら始発で帰った。高岸は大学の近くに住んでいたので、歩いて帰った。僕はその日家に帰るとシャワーを浴びて寝て、夕方にのろのろと目を覚ましてそのままだらだらと過ごして一日を終えた。高岸は眠れずにそのまま疲れ果てて眠ってしまうまで曲を作った。
 高岸と出会ったその晩、僕はかなり熱に浮かされていて、将来の希望や展望、アイデアでいっぱいだった。しかしいざ日常に戻ってみると、夢想だけでそれを実現するための行動を何一つとろうとしなかった。結局僕は約束の日にまで新しい曲を作ることもできず、高校の時に作った断片的なギターフレーズを携えて高岸に会いに行った。
 対して高岸は実は行動力の塊みたいなやつだった。僕は大学生活を通してそのことを思い知らされることになる。
 高岸も僕が過ごしたような冴えない一週間を過ごし「なかなか作曲って難しいね」と談笑しながらいくつかのアイデアを見せ合って何とか二人で一曲書き上げることになる僕は思っていた。だから多少の不安はあったがにこやかに彼と再会した。高岸は既に大学の門の入り口で待っていてCDウォークマンで何かを聴いていた。
「なに聴いてるの?」
※⑤The dB’s。XTC好きならかなり好きだと思う。よかったらうちで聴こう」
 彼の家は大学から歩いて十五分ぐらいのところにあった。二人とも昼を食べてないのでラーメン屋に入ることにした。
「ここの親父が※⑥ピート・タウンゼントに似ててさ」高岸が笑ながら言ったから「嘘だろ」とつられて笑ながらのれんをくぐった。
 本当に似ていた。麺の湯切りがウィンドミル奏法に見えるぐらいに似ていた。でもそれだけでラーメンの味はそこそこだったし、店内のBGMも『四重人格』とかではなくごく普通のJ-POPだった。「本当に似てたな」「だろ?」高岸はずれたメガネをかけ直しながら言った。
 ラーメン屋から高岸のうちまでに例の宿題の話をした。「曲どう?なんかできた?」「うん、全然大したことないんだけど五曲ぐらいできたよ」
 ショックで目の前が一瞬真っ暗になった。高岸は一曲どころか五曲も作っていた。
「まじ? ……凄いじゃん。俺一曲しかできてないよ」
 嘘だった。さっきも書いた通り僕のはお世辞にも曲と言える代物ではなく、ナンバーガールのパクリみたいな開放弦を利用したリフを中心としたフレーズの組み合わせの繰り返しがいくつかで、それに、よくわからないメロがついた何かだった。それだって殆ど高校の時からあたためていたお下がりのフレーズだった。
 高岸の家は柳のアパートほどではないが中々にぼろかった。しかし柳の部屋の中よりはだいぶ洒落ていた。僕は早速自分の曲とも言えない曲を披露した。社交辞令かもしれないが意外にも高岸はそれを褒めてくれた。いよいよ高岸の五曲を披露する番になって、彼は恥ずかしそうにギターを弾いて歌い始めた。
 結論から言うと高岸の曲は大したことがなかった。詩もなんだか薄っぺらいもので、たわいのない恋愛やよくある人間関係の悩みを大学生が吐露した様な詩だったし、メロディーは出来損ないの歌謡曲みたいで僕らが理想とするXTCとはかけ離れていた。その時僕は少しほっとしたのを覚えている。なんならその時の僕は自分が持ってきたギターフレーズの方が高岸の用意した五曲より価値があるし優れているとすら思っていた。
 だが、僕は何一つ分かっちゃいなかった。とりあえず失敗してもいいから何かを作ってみることの重要性を。完璧な曲を作りたいとか、中途半端な出来だと恥ずかしいとか、今は作れないだとか、なんだかんだ理由をつけてまともに曲を作ろうとしなかった僕とその時の高岸の間には大きな、本当に大きな隔たりがあった。実際その後も僕らの差は開き続けた。最も僕だって何にもしていないわけではなかったが、実質何にもしていないのと同じだった。いきなり凄い曲を作ろうとあーでもないこうでもないと一つのフレーズやアイデアに執着してどこにも進めていなかった。その間高岸は何曲も作ってトライアンドエラーを繰り返し少しずつまともな曲ができるようになっていった。次に同じような会を開いた時には高岸はさらに五曲を書いてきて、それは前の五曲より全然いい出来だった。そしてその次の回で高岸は三曲書いてきて、それら新曲はその前の十曲より遥かに良い曲だった。そして僕はというと相変わらずナンバーガールのパクリみたいなフレーズと格闘していて、申し訳程度にいくつかのギターフレーズを披露するにとどまり、いつの間にか高岸の曲に僕が意見をしたりギターフレーズを付け足したりする流れに落ち着いて、もう僕が曲を持ってくる事もなくなり、高岸も僕に曲を書いてきて欲しいとは言わなくなった。
 というわけで滑り出しは(主に僕にとっては)スムーズではなかった。バンドは当初のコンセプト、複数のソングライターや、中期XTCと初期ビートルズとエルヴィス・コステロとアトラクションズを足して割ったような音楽性、からはかけ離れていた。しかし、それでも高岸があんまり気にしてない様子で、コステロやXTCのフレーズや曲を分析して、「ここが凄い」とか色々と教えてくれた。当時僕はまだ耳コピ(音源から音を聴き取って演奏すること)ができなかったので、僕は高岸からそれらの分析を教わるだけだったし、僕は「こうしたい」とか「ここがいい」とかを言葉によるイメージや音源を実際に聴かせることで高岸に伝える事しかできなかった。というわけで僕は高岸に対してかなりの引目を感じるようになっていった。今にして思うと向上心やライバル心を持たずに、何も考えない方がまだマシだったかもしれないし、大胆に行動できたかもしれない。
 とはいうものの、それは僕にとって自尊心が傷ついてばかりの辛いだけの時期だったわけではなかった。バンド名は最初に高岸の家に集まった日にKatie’s been goneケイティーズ・ビーン・ゴーンになり、僕たちは自分たちをケイティーズとか、KBGとかいったりして、ノートにいつくかのロゴを描いて遊んでいて、このバンドの成長を僕は夢見ていたし楽しんではいた。
 高岸の家で五回目ぐらいのセッションをした日に高岸がライブをやろうと言い出した。その時は一応十曲ぐらいが形になっていた(高岸が最初の二回の会合で作った曲は全て彼自身の手でボツになった)ものの、僕たちにはドラムもベースもいなかったし、まだスタジオにすら入っていなかった。僕は当然の様に反対をしたが高岸は「※⑦そんな事してたら四年なんてあっという間だよ、とにかく場数を踏もう」の一点張りでとうとう押し切ってしまった。高岸は次の週には大塚のライブハウスをブッキングしてきて一か月後の六月の下旬に初ライブが決まり、僕らはそれまでにチケットを売り捌かなければいけなくなっていた。※⑦チケット代は1,500円で、ノルマは十五枚、それ以上売ればバンドは儲けが出せる。が、他に機材費やらなんやら取られるから結局二十枚ぐらい売らないと足が出る事になる。当然人気も知名度もゼロでチケットを買ってくれそうな友達もほとんどない僕たちは実質三万程度を折半して負担しなければならなかった。僕たちはそれを知り合いにタダで配ってチケットを捌いた。中にはお金を出してくれる人もいた。
 問題は「このギター二人だけのバンドを、あと一か月弱の準備期間でまともなライブが出来るバンドにする」事だけだった。

第三話に続く

※①社会人になってから三年ほどたったある日、この時の会話を思い出して石川県(金沢)に旅行に行った。当時は新幹線もなく東京からのアクセスが悪かったが良いところだった。そのときはあいにくの雨だったのだが、雨の兼六園も美しかったし、金沢21世紀美術館も僕は大いに楽しんだ。

その後会社の金沢出身の同僚にこの旅行の話をしたら金沢が雨が多いと教えてくれ、「どうせなら雪が降っていればよかったのにな」と言った。僕もそう思う。

※②スーパーカーは青森県出身のバンド。地元に誇れるバンドがあるということはなんとも素晴らしいことである。

※③これら三バンドがいたおかげで、いやそのせいで僕らはバンドには「まだ」未来があると思い込んでいた。異論はあるだろうが実際にはそんなものはなかった。

※④ダンス・ダンス・ダンスは村上春樹の同名長編小説、ワインズバーグ、オハイオはシャーウッド・アンダーソンの小説で僕が考えた。September Girlsはビッグ・スターの「September Gurls」から、No Surprisesはレディオヘッドの曲から高岸が候補にだした。マジカル・コネクションはピチカート・ファイブの曲名で僕。Katie’s been goneはボブ・ディランとザ・バンドの共作アルバム『ベースメント・テープス』からで高岸がだした。

※⑤The dB’sは知る人ぞ知るパワーポップバンドでこの時高岸が聴いていたのは名盤1stの『Stands for Decibels』。バンド名を説明したお茶目なタイトルだ

※⑥イギリスの伝説的ロックバンド、ザ・フーのギタリスト。『四重人格』は彼等の代表作で二枚組の大作。名盤だがラーメン屋のBGMには当然相応しくない。

※⑦高岸のいう事は1000%正しい。オメガトライブもそういうだろう。

第三話に続く

タイトルとURLをコピーしました