ライブにでると、出番が終った後、声をかけてくれる人がいる。同じ出演者として、社交辞令的な意味合いも含んだ賛辞をくれる人もいれば、ライブ関係者でも自分の知り合いでも無い人で純粋に我々の演奏に感動して声をかけてきてくれる人もいた。ひらがなの「すとれいしいぷす」時代には前者だけでなく後者も沢山いた。石崎さんと石田さんも顔が広く、高岸もどんどん人脈を広げていたし、そもそも「すとれいしいぷす」はなかなかキャッチーで初見で好きになりやすい音楽性だったから、僕も当時は声をかけられ慣れていた。ただ、このW3として出た二回目のライブの時は当然そんなことは期待していなかった。柳の作った曲には自信があったが、メンバーが二人だけでバンドとしての体裁を成していないため、他のバンドと同じ土俵に立っているとは思っていなかったし、柳の曲はよくよく聴くと人懐っこいメロディーとも言えなくもなかったが、おそらく初めて聴いた人にとって飲み込みやすいものでもなかったと思う。だから加瀬君が僕らのステージをたまたまとはいえ、二回とも見てくれたということに驚いたし、何より僕らのファンで(二回見たぐらいでファンだというのは少し大げさな気もしたが)メンバーに入れてほしいとすら言ってくれたのは心底嬉しかった。ただ彼をメンバーとして迎え入れるかどうかは話は別で慎重にならなければいけない。柳はそう思ってなかったのかもしれないが、僕はそう考えていた。加入してもらうのは相手にその気があるならば容易いことだが、合わなかったからといってすぐやめてもらうわけにもいかない。それは暗黙のうちにクビになるという(正確には自分で辞めたわけだが)辛い経緯を味わってきたのもあるし、錦の「付き添い」でいくつかのバンドに参加した時にメンバーチェンジのゴタゴタを目の当たりにしてきたからでもあった。この時に一緒にいた加瀬くんの彼女の南さんとどの程度会話したかは殆ど覚えていない。とりあえず加瀬くんとは連絡先を交換して何度かやりとりをして、後日改めて会うことになった。加瀬くんは調布にある理系の大学の二年生で、主にAmerican Football、Gastr del Sol、Slint、Don Caballero、あたりのマス・ロック、ポスト・ロック、それから、DusterやRed House Painters、などのスロウコアが好きで、他には一部のエモやハードコアやポストパンク、ニューウェーブ周辺も好きということが分かった。ハードコア、ポストパンク、ニューウェーブはともかく、当時ライブハウスで結構流行っていたマスロック系のバンドを殆ど聴いたことがなかった上に、スロウコアに至ってはジャンル名すらしらなかった。もっとも当時加瀬君もそういったジャンル名は使ってなくて、さっき羅列したようなバンドがとにかく好きで、数年後にそれらを思い返して調べてみたらマス・ロックやポスト・ロック周辺だったんだなと分かったぐらいである。そのなかでも彼は※①キンセラ兄弟に心酔しており、彼ら関連のバンドをとにかく好んでいて、後に僕は彼からCap’n Jazz、Joan of Arc、American FootballのCDを借りることになる。が、当時の僕にはAmerican Football以外はピンとこなかった。柳と僕の二人体制のW3にはそれらの加瀬君が好むようなジャンルの要素は殆ど無かったから、彼が我々のどこに惹かれたのかそこだけ聞くとまるっきり謎だった。彼はドラムを始めたばかりであり、ドラマーとして参加したいと言っていたが、その点は腑に落ちた。というのも、ドラムが音楽的に重要な役割を担うことが多いポストロック(やマスロック)を好む人間がドラマーを志すのは自然な事に思えたからだ。だからといってかれがプレイヤーとして期待できるかというとそれはまた別の話で、ドラムを始めたばかりということからむしろ全く期待はできなかったというのが本音だった。しかしながらこのまま前進しないのも問題だし、選り好みできる立場でもなかったのでとりあえず一度スタジオに入ってみることにした。我々のデモ音源やライブを当時録音した物をコピーしたものを事前に渡し、二週間後ぐらいに三人でスタジオに入った。
加瀬君のドラミングは初心者の域を出ないものだった。実際初心者だから当たり前なのだが、彼ぐらい音楽に詳しい人は上達も早いのではという期待はあった。我々のレパートリーにはリズムがはねている曲も多かったから加入は無理、時期早々だと一曲あわせた時点で思った。しかもこれは言ってしまったら悪いが、加瀬君は痩せ型でドラマーとしてはただでさえ頼りなく見えてしまうのだが、なぜかドラムを叩くときは上着を脱いでタンクトップ姿で、いつもかけているジョン・レノンみたいな丸メガネをなぜか必ず外すのだが、それがなんだか、可笑しいのと同時に僕の「バンド美学」に抵触するものだったらしく、申し訳ないが、彼をメンバーにはしたくないという理由の一つになっていた。僕と一緒にバンドをやってくれたということもそのおかげなのか、柳は意外と楽器の巧拙には無頓着なのかもしれない。そんな感想を彼とのセッションで抱いた僕とは逆で、柳は彼に好感をもったのか、練習が終ったあと「ここは次回までにこうしたい」とか僕にはあまり言わない様な指示を彼に対してだしていた。帰り際に加瀬君をどう思うか率直に聞いてみたが、いいんじゃないか、とか、早速来週も練習に入ろう、といった調子でなぜかやる気をだしていてますます柳がわからなくなった。
加瀬君を加えた新生W3は文字通り三人体制になったが、その頭文字のワンダーからは大分かけ離れた存在になった。打ち込みの時代にあった機械的ではあるが、確かではあったグルーヴ感が損なわれ、それはギクシャクした下手くそなビートになった。柳はそのギクシャクを求めていたのかもしれないが、ベースを担当し、彼との連携を求められる僕にとっては非常にフラストレーションがたまる練習が続いた。ベーシストとしての立場も勿論あったが、僕がドラマーに対してこだわりや明確な好みがあり、要求が厳しいというのもあった。今にしてみれば加瀬君は初心者にしてはよくやっていた方だと思う。
いろいろと意見しやすい様なキャラクターだったというのもあって、何か意見や要求を加瀬くんにぶつけたかったが、そうした所でそれがすぐにでもどうにかなるものでもないとわかっていたし、もうバンド内のいざこざは本当に避けたかったので、本当に我慢できない時しか口を挟まなかった。進展どころか後退を感じながら、三年生の大事な大事な夏はそうやって過ぎた。彼はそもそもこのバンドをどうしたいとか考えているそぶりもなく、ただ楽しんでおり、そして一年生だった。まだまだ学生生活が、世界が、明るく楽しく見えている。そしていつもの通り柳はなにも気にしない。飄々としている。自分だけが「もう三年生の夏が終ろうとしているのになにも成し遂げていない」という焦りを抱えていた。ただ柳は柳で加瀬君にドラムを教えたり僕の知らないところで二人でスタジオに入ってレッスンじみたことをやっていたらしいし、調布からは遠いはずなのだが、夏休みということもあって、柳の家には何回か来て、泊って朝方帰ったりもしていたようだ。
夏休みが明け、大学が始まると学内で同じ学年の見知った顔の連中の何人かがリクルートスーツを着はじめていた。僕はそれに対して何か焦りを感じつつも何かをしようという気持ちにはなれなかった。それでもゼミなどの授業には真面目に通い、ただ就職活動に背を向けているだけで、教授からしたらまっとうな大学生を演じていた。それがまるで僕にとっての保険であるかのように。単位だけは真面目にとること。それだけが親や世間に対してうしろめたさを感じずに済むギリギリのラインであるかのように。でも実際は就職活動を無視している時点で大半の学生からははみ出していたし、実際はそんなに気にすることはなかったのだ。周りを見渡せばそんな連中はいくらでもいた。十人に声をかけたら二、三人は留年していたり、就職活動なんて考えずにただ自分のやりたいことに打ち込んだり、もしくは怠惰な生活に喜びを見出しているような連中だったはずだ。そしていまから考えてみれば別に就職しながらバンド活動を続けたって良かった。スティング、エルヴィス・コステロ、イアン・カーティス、ノエル・ギャラガー、定職につきながらもミュージシャンとして成功した人は結構いる。日本でも、佐野元春やコレクターズ、ケン・イシイ、あぶらだこなど今なら複数の例をあげることが可能だ。だが当時そんなことは思いもしなかった。就職したらもう音楽活動とは決別するしかないと思い込んでいた。僕は自分で自分をどこにもいけない様に中途半端な位置で縛り付けていた。
加瀬君が加わった三人体制のW3の期間は、貴重な夏休みを費やしたにも関わらず結局短命に終った。我々は加瀬君を加えたW3のライブを九月の下旬に予定したのだが、ライブの二日前に彼が大学の階段で足を踏み外して、酷い捻挫をして足をくじいてしまった。それだけでなく、バランスを崩したとき勢いよく手をついてしまって、手も捻挫してしまった。まだ片足だけだったらライブにも出れたかもしれない。ところが、こうなってしまってはどうしようもなかった。僕は腹が立つというよりはホッとした。ドラムマシーンを持っていけば二人で演奏できるし、怪我してない状態の加瀬君が参加するより演奏としてはまともになるんじゃないかという残酷な事すら思った。僕はそのニュースを彼から電話で聴いたとき、丁度近所のごちゃごちゃしたドラッグストアで日用品を買おうとしていたのだが、途中で買い物は諦めて外に出て、話を聞きながら、もうすでにドラムマシーンや二人だけのアレンジで今回やる予定だった曲目をアレンジしなおしたり、曲目そのものを変えたりといった算段を組み立てる為に家に戻り始めていた。ところが加瀬君は代役のドラムを立てるといいだした。
「いまから代役なんていらないよ。打ち合わせる時間もスタジオに入る余裕もないし、前も僕らが二人でライブやってたのしってるだろ。大丈夫だよ」思わず立ち止まっていった。ところが彼は食い下がって「いやそれなら僕が明日までに教え込みますし、すでに曲をしってたりするんですよ」「そんな急に対応してくれたりすでに我々の曲を知っている都合の良いドラマーなんてほんとにいるの?」話を聞くとそのドラマーとは加瀬君の彼女だということだった。それが南さんだった。適当すぎるアイデアだと思ったから、すでに柳には話を通して了解をとっているということを聞いた時、思わず道の真ん中で大きな声で叫んでしまった。「嘘だろ?」。これ以上話をする気力がなくなって電話を切るとモヤモヤしたまま家にもどり、かといって柳に何かをいうのも気が引け、もうどうにでもなれと思って、なにか食べようと思ったが、そういえば何にも家になかったからわざわざドラッグストアに言って安い冷食でも買って適当に食べようと思っていたことを思い出してまた外に出て行った。もうすぐ十月になるころだったのにやけに暑い日だった。
ライブ前日、本当はその加瀬君の代役という彼女、南さんと一緒に一度リハーサルをしておいた方が良いとも思ったが、正直僕はその時点で拗ねてしまっていて、もう本番ぶっつけでいいと思った。結局柳と代役の彼女が加瀬君立ち合いの元でスタジオに入ったのか入ってないのかは知らない、というか覚えていない。多分入ってないはず。
本番当日。南さんは初めて加瀬君の連れとしてライブハウスで会った時とあんまり印象は変わらず、本番前にもかかわらずリラックスしている様子だった。落ち着いていて雰囲気があるその様子はどことなく柳に通じるところがあって、何をしてもなんとなくコミカルになってしまう加瀬君とは対照的と言えた。彼女はすこし背が高めで、僕はどちらかというと背が低い方だったから僕らはあまり変わらない背丈だった。明るめの茶髪だがぎりぎり上品な位の濃さで、いつもaikoっぽいファッションをもっとロックよりにしたような格好をしていた。時々カート・コバーンみたいなネルシャツやカーディガンを着ていて、それが結構似合っていて格好がよかった。今回のライブに関してはもう失敗は目に見えていたので、もうあんまり気にしないでやることをやるしかないという投げやりな心持ちだったが、改めて本番前にさほど緊張していない南さんに会ったら、なんとなく上手くいきそうな気がした。考えてみたら我々のその時のレパートリーに複雑な展開もなかったし、良くも悪くも柳のソングライティング能力が物をいう曲ばかりだったから、下手じゃなければ曲に合わせて適当に叩いてもらえば大きな失敗はないはずだった。だから不満で少しナーバスになっていたが、南さんと話して落ち着いたところはあった。むしろ捻挫しているくせに律儀に松葉杖をつきながら会場に来ていた加瀬くんの方が緊張していたし、ばつが悪そうだった。僕の方では加瀬君には怒りよりも「そんな状態でここまで来て大丈夫か」という思いの方が強くなっていたから、彼に対してはなんとも思わなかった。
我々の出番は一番最初だったから、リハーサルも本番直前だった。音量バランスの確認の為に、そのとき各曲をワンコーラスずつ合わせたが、その時の南さんの印象は普通に叩ける人というだけだった。そういえばその時までに南さんがドラムをどのくらいやっていたのかという事前情報みたいな物はなかった。本当は加瀬君が事前に僕に色々と伝えようとしてくれていたのかもしれないが、僕の方で聞く耳を持たなかったのだと思う。
本番。一曲目。本来だったらこっちが合図を出して南さんのドラムのカウントで入るのが妥当かもしれない。少なくともリハーサルではそうだった。しかし柳はいきなり客に背を向け、ドラム(南さん)とベース(僕)の方を向くと身体全体でリズムをとりだし、口でカウントを取り始めた「1,2,3,4!」我々は一斉に演奏を始めて、お互い顔を見合わせた。どこでスイッチが入ったのか珍しく柳は興奮した様子だった。それにつられるかのように南さんも今日がW3として叩くのが初日ではないかの様に息ぴったりで実に生き生きとドラムを叩いた。僕も自然といつも以上にのってきて、この瞬間に僕はバラバラな個別のプレイヤーではなく、一丸となり、一つのバンドに成ったという感触を得た。イントロが終るとそこで柳は初めてマイクの方向を向いて歌い始めるが、歌が途切れる場面で我々の方に身体と視線をよこし、ギターの先端を振って我々に合図するかの様に演奏した。僕もいつものようにただ前を見て演奏するのではなく、基本的にステージの中央の方向を向いて、柳や南さんと向き合う様にして演奏した。南さんのドラミングはテクニカルではなかったが、とにかくシンプルに力強くて、いやおうなしにこちらを盛り上げてくれるようなノリがあった。60年代のロックドラマーみたいにちょっとスウィングしているような歌うようなドラミングだった。それは正に僕が求めていた物だった。
一曲目が終わるとすぐに南さんはスティックでカウントをとり始め、二曲目が始まった。これも打ち合わせていないことだったが、我々は流れを止めたくなかった。結局なんのMCもバンドの紹介もすることなく、※②ノンストップで五曲をやり切って、「終わり!」と柳がぶっきらぼうに言って予定よりも五分早く終った。なんだか一気に曲をやり切ってしまったのがなんだか恥ずかしくて僕はそそくさと片付けを始めてしまった。あんまり覚えていないが加瀬くんや西沢くんから後で聞いた話によると観客の反応はかなり良かったみたいだった。やっている側は確信があった。このメンバーの演奏はハマってるし、今の楽曲群にとって理想的な一つの形にはなっていると。
そうなるとかわいそうなのは加瀬君だった。W3に南さんのドラムがぴったりハマっているのが分からない加瀬君ではなかった。彼は演奏は初心者なりだったが、熱心な音楽リスナーであり、善し悪しが分からないわけでは勿論なかった。終わった後の彼の表情はなかなか複雑だった。自分の脱退を何時言うかどうやって切り出すか、それともこのまま一緒にやっていいのか、自分でもどうすべきか分からない風だった。第一加瀬君も含めて僕らは南さんがどう思っているかもよくわからなかった。彼女は出番が終わると松葉杖をついている加瀬君をこのままライブハウスにいさせるのも心配だから彼を送っていくといって加瀬君と一緒にかえってしまった。彼女が先にかえってしまったのももっともな話だったが、これからW3はどうなるのだろうという疑問を抱えたまま中途半端な状態で取り残されてしまった。何も決まらずに彼女がかえってしまったことで、我々は凄い演奏をしたという確かな手ごたえが徐々にあの時は良かったねという思い出に変わり、二度と手の届かないものになるような気がした。
※①キンセラ兄弟 マイクとティム。Cap’n Jazz、Joan of Arc、American Footballなどのエモ、ポスト・ロック、マス・ロックで重要なポジションのバンドに参加していた兄弟。いとこにネイト・キンセラもいる。それらのジャンルのファンにとってはかなり重要な人物で、加瀬君は彼らにかなり心酔していた。
※②この様なライブが成立したのはこの時だけだった。本当はギターのチューニングを直したりつぎの曲の音の調整をしたりする時間が必要だし、事前にライブハウスのミキサー卓担当の人に伝えていたMCなどの予定も無視することになる。この時はなんにも言われなかったが、怒られてもおかしくない。